2019年3月8日

会社で飲み会があり少しふわっとしている。帰り道。眠い。さみしいというよりも虚しい。ずっと虚しい。何にもなれない人間が何にもならない人生を送ることの虚しさはずっとついてくる。生きていくなら何か頑張るか、何もかもを諦めたり受け入れたりするかしなければならない。大変だな。みんなすごい。


ジョニー・ロットンが「We do not need to die.」って言ってた。わたしたちは死ななくていい。


お昼に商店街のめちゃくちゃ昔からあるような喫茶店に行って安いカツ丼を食べた。今まで食べたカツ丼でいちばんおいしかった。店員のおばあさんがこわかった。こわいおばあさんのいる喫茶店や定食屋さんはおいしい。


職場の受付に優しくかわいく明るく誰に対してもフラットで育ちが良く両親に愛されて生きてきたのだろうと思わせる女の子がいて、まあ実際の人生など他人にわかるわけはないのですが、満たされていそうな明るさは良いなあと思う。世界を恨みたくはない。


小さい頃お母さんがケーキとかデパートのお惣菜とか服とかを買ってくると、うちにはそんなお金ないから絶対に盗んできたんだと思っていた。悪いことをするのはダメだけどお母さんがいなくなるのはいやで、警察がきたときにどう対応するべきか考えて不安になりながら眠っていた。もっと歳をとってお母さんと普通に話せるようになったら、このことを打ち明けて笑い話にしたい。


今日は嫌な夢を見て起きた。嫌な夢というのは、絶対にありえない幸福な夢のことで、昔の同級生みんなにすごく愛されている夢とか、もう会えない人に愛されている夢とか、とにかく誰かしらに愛されている夢が多い。もう会いたいとも思ってない人や嫌な思い出ばかりある人や会いたくても会ってはくれない人に愛される夢を見て何になるんだと思う。疲れるので犬を抱っこするだけの優しい夢を見たい。

幼稚園児くらいの頃、初めて悪夢を見た日のことを覚えている。お母さんが怪獣のようなものに変わってしまって、誰も助けてくれない、千と千尋の神隠しの冒頭のような夢だった。あまりにも恐ろしくて、お父さんの仕事場の新聞紙が積んである隅の方で、どうかあんな夢をもう見ませんようにと祈っていた。そんなことをしてもこわい夢は見るしもっとこわいことばかりある。


何にも考えずに書くと暗いことばかりになる。四文屋のもつ煮食べたい。はやく寝る。