海岸から沖へと

年が明けた。朝起きたら生き延びたことが苦しく、夜になれば明日がくることが不安で、一生を考えれば虚しくてたまらない。
年末は布団から起き上がれず、大晦日はおでんを作った。ひとりで過ごす年末年始はいろいろなことを考えてしまう。今年は世の中も自分も悲しいことがたくさんあった。

去年の前半は入院ばかりだった。病院の中では私はいつも守られていて、そのかわり何もできなかった。退院して東京に戻ると自分のことは自分でどうにかしなければならず、何でもできるはずなのに何もできなかった。好きな漫画と歌集を何度も読み返し、好きな曲を繰り返し聴いた。新たに何かをする気力がないことにひどく焦る。

親切にしてくれる人に自分の選択を任すことができないのは、わたしの人間性に問題があるのだろうと悩んだ1年だった。自分に何か特別なものがないのなら、恋や性愛のために身を投げ出さなければ人に大事にされることはないのではないかと思い悩んでいたこともあったが、「何もしなくていいから家族のように親切にさせてほしい」という求められ方に応えられず、自分の心の狭さを知る。わたしは自分の何かを差し出さなければ築けない関係が不安だったわけではなく、人と親しくすることに耐えられないだけだった。
人を大事にすることも人に大事にされることもできっこないだなんて、これからどう生きていけば良いのだろう。どうしてこんなにも人との関係を上手く築けないのだろう。わたしは人に何を求め、何を求められたいのだろう。何もわからなくなった。

仕事の苦しみを人生の苦しみにしてはいけないとわかっているが、何かを指摘されるたびに一歩ずつ海岸から沖へと向かっている気持ちになる。あと何歩目で足が底へつかなくなり、あと何歩目で溺れてしまうのだろうかとふと考える。場数を踏んでスキルを磨くしかない、頑張るしかないと思うが、一生こうなのだとしたらなんという地獄だろう。

今年もただ地獄のような日々が続くだけだなと暗澹たる気持ちになる。頑張ろうって小さく唱えるが、もう心が折れそう。頑張ろう。