寄り道

寄り道というものは自分の家に帰るときには当てはまらない気がする。地元にいた頃は高校やバイト先からの帰りによくお堀に行っていて、それを寄り道だと認識していた。亀が泳いでいるのを見ながら、嫌だったことをゆっくりと思い出して、間違えたことをひとつひとつなぞって、正解は何だったかを考えていた。お金がないのでお堀とその近くにある古びた図書館によく行っていたけど、他にもミスドサンマルクカフェ、ローソンのイートインスペースなど、あらゆる場所で息を潜めて過ごしていた。「帰りたくない」「今すぐ帰りたい」を往復して疲れ切っていて、それは今も変わらない。上京したら「寄り道」はなくなった。それは自分の家がちゃんと自分の家になったということで、わたしはつらくても働いて自分だけの安全な場所を死守しなければならない。


寄り道という言葉にはもうひとつ思い出がある。昔、「寄り道」というご飯屋さんに家族でよく行っていた。老夫婦が営業していて、おじさんがメニューや注文したごはんを持ってくるたびにボケてくるようなお店だった。座席に鉄板がついていて、お好み焼きが看板メニューだった気がする。なぜかカラオケ付きの個室があるので、お好み焼きを食べながら歌うことができた。文字にすると明るすぎる店なのに、店内はいつも薄暗く静かだった記憶があり、寂しくなるのでわたしはあまり行きたくなかった。そういえば、家族で行っていたお店はどこも薄暗かった。わたしは実家の騒がしさを滅びる前の明るさのようなものだと感じていたが、それは町全体に思っていたことだったのかもしれない。わたしが勝手に薄暗く感じていただけで、実際は明るくて騒がしいお店ばかりだったのではないかと今になって思う。