西日がまぶしい

上京してからずっと、さみしいときに電話をかけると波の音が聞こえる番号があってほしいと思っていた。今日ツイッター広島市現代美術館の地球電話というものを知り、夜中に電話をかけてみたら広島の風の音が聞こえた。

わたしは海の目の前で育ったのでよく波の音を聞きたくなるのだけど、風の強い町でもあったので風の音も好きです。

地元は田舎にあって、海と山と畑以外何もなかった。みんな噂話が好きで、何でもすぐ広まった。わたしの家族もそうだった。ずっと地元と地元で暮らす人たちが嫌いだったけど、離れてみると海や風に懐かしさを感じたりしていて、そんなんじゃなかっただろとバカらしくなる。

以前、おじいちゃんについてブログを書いたことがあったけど、わたしのおじいちゃんは本当にどうしようもない人だった。ひどくわがままで頑固で、地元では何回も「あのじいさんのところの…」と眉をひそめられた。
本家の山の一部を分家の末っ子であるおじいちゃんは借りていて、でも孫たちには「じいちゃんの山」と言っていた。おじいちゃんの宝物は山と船だった。お正月はその山でお餅を焼いて食べたり、みかんをとる手伝いをしたりした。おじいちゃんに癌が見つかった年の春、おじいちゃんがわたしと妹を連れて山へ桜を見に行き、それが山に行った最後だった。おじいちゃんの山は本家に帰った。もう本当におじいちゃんの山じゃなくなった。

おばあちゃんはおじいちゃんにいつも怒られていて、おじいちゃんを憎んでいた。おじいちゃんが死んですぐおばあちゃんは認知症になった。1年前の台風の日、みんなが寝た時間に外に出て階段で転び、それからずっと病院にいる。昨年のお正月にお見舞いに行ったとき、わたしのことはわからないようだったけど、わたしが泣いていたらおばあちゃんも少し泣いていた。
おばあちゃんはあまり料理が好きじゃなかったらしいけど、さつま汁にはかなりこだわりがあって、誰も同じ味には作れない。わたしはさつま汁が大好きで、おばあちゃんはさつま汁を作ったときには少しだけ残して次の日に持ってきてくれた。もうおばあちゃんと昔のように会話はできないので、もっと前に作りかたを教えてもらえばよかったと思う。

実家のわたしの部屋は西日が当たっていつもまぶしかった。窓辺に机があったから、本はいつも日焼けしていた。家に犬が来てからは、西日に照らされながら窓の外を見る犬がきれいでカーテンを開けていた。

先日姉が結婚した。結婚のことはしばらく知らなくて、今も名字が何になったのかも知らない。離れると少しずつ他人になっていくけど、それくらいが正しい感じがする。お姉ちゃんの配偶者はとてもいい人だった。彼女たちの穏やかで幸せな生活が長く続くことを本当に心の底から願っていて、自分でも驚く。お母さんは次はわたしだと思っているけれど、次女は人と向き合って仲良くなることができないのです。

地元で暮らすことはもうないだろうし、家族に本当に思っていることを話すこともない。そんなことを知ったら家族は悲しむだろうけど、海や風の音を懐かしく感じたり、夜に昔のことを思い出したりすることも愛ですよと思う。