眺めのいい場所

そんなこと思ったことなかったんだけど、今日帰りながらふと「眺めのいい場所に行きたい」と思った。それから眺めのいい場所について考えてみたけど、実家の近くの海や海岸線を走る車の助手席から見ていた景色ばかり浮かぶ。以前人から「あなたは海欲が強いよね」と言われたことがある。わたしの海欲は海でなにかしたいとかではなく、本当に見るだけでよくて、常に海が見たいと思っているんだけど、いつでもひとりで出かけられるのに上京してから海を見にでかけたことはない。

 

小学2年生くらいまで、家から川が見えていた。その後自宅の前に家が建って見えなくなった。川に沿ってしばらく行くと海に着く。夏祭りはその海で開かれていて、小さい頃は家族や近所の人と見に行った。お正月はその海で焚き火や凧揚げをやっていて、地元の婦人会の人たちがぜんざいを配っていた。わたしは小さい頃甘いものが食べられず、ぜんざいを断ったら焼いたお餅をくれた。夏にはその海で地域の人の死を悼むならわしがあって、砂浜に大きな穴を掘ってその中で焚き火をした。母についていったことが何度かあるが、母がバタバタと喪服を用意していたことと、夕方の海の眩しい中で煙を浴びながら穴に向けて木を投げ入れたことしか覚えていない。

 

今日は何にもうまくいかなかった。しかし全部わたしが悪いので、自分の愚かさについて考えるしかない。何百回も読んでると思われるいちばん好きな漫画のなかにある「私なんか 私なんかいったい何なんだろう」を心の中でいつも繰り返している。何なんだろう。
自分のくだらなさに向き合っていかなければならない。いつかくだらなくない人間になるのだとしても、一生はそんな惨めなものなのだろうか。みんな自分のくだらなさに向き合い続けて虚しくならないんだろうか。それとも自分をくだらないとは感じないのだろうか。かつてはくだらないと思っていたけど乗り越えたのだろうか。わたしはまだそこにたどり着いていないだけなのだろうか。くだらなくても他人からの愛情や何かを成し遂げた結果が自分のくだらなさを相殺するだろうか。

 

優しくなりたい。