大人だけど

オリンピックが始まって、連休があって、いつも以上に社会から取り残されている気分になっていた。大人だから考えなきゃいけないことがあるとわかっているけど、しばらく何も見たくない。

 

部屋の電球は1ヶ月切れたままだし、扇風機はカバーが取れてしまって首も外れてしまい、危険な状態で動いている。アパートはめちゃくちゃで、でも引っ越しする余裕もなくて更新料を20万弱払った。お米も買いに行けてなくて、食パンを焼かずに食べたりしている。アパートの階段から落ちて足が痛い。生活はままならない。

 

先日、通っている美容室とは別の近所の美容室に行った。仕事以外で初対面の人と10分以上話すのがかなり久しぶりでうまく話せなかった。人との会話で失敗したことについて、その後何年も何年も考えて落ち込んでしまう。今年に入ってずっと自宅で仕事していたけど、最近出社することが増えて、人と同じ空間に長時間いて失敗しないように振る舞うことがこんなにも苦痛だったなんてと思った。慣れない会話も慣れない場所もいつもこわい。職場はどうしてそんなことができるんだろうと思うような人ばかりで、でも両親を納得させて社会にしがみついて生きていくにはここでやっていくしかないんだよなと考えて耐えている。

 

昨日は鳥飼茜の『サターンリターン』を読んでいた。生々しいので元気じゃないときに読むとつらくなってしまうけど、わたしは喪失について描かれた話が好きだな。どれだけ愛されるか何ができるかじゃなくて、自分の何もなさを許してくれる人が心の大部分を占めてしまうものだし、そういう人に執着してしまうものだよねと思った。鳥飼茜さんといえば(?)、以前何かのインタビューで結婚してもずっと孤独だというようなことを言っていたのを覚えていて、『おんなのいえ』にもひとりでさみしい人間はふたりでもさみしいみたいな話があったなあと思い出していた。ひとりでいるときの孤独より外で人といるときの孤独の方が応えるけど、誰かと一緒に暮らしているのに自宅でずっとそういう類の孤独を感じ続けるのならそれはかなりつらいことだろうな。

 

何にも考えずに日記を書くと感情が整理されて良いかなと思ったが、そんなことはなかった。