とことんまで

仕事のチャットを見ていたら、社会から取り残されていることがはっきりとわかって泣いてしまう。居場所をつくることに躍起になってもむなしいだけとわかっているが、だからといって社会のどこにも触れずに生きていけるほど強くもなければ特別なものも持っていない。

 

自分自身について、最近はずっと馬鹿げたことをたくさん考えていた。自分は何にも持っていないし何にもなれないし誰にも愛されないと思っているが、自分の考えていることがわかるという点にのみ自信があって、でもそんなこともふとくだらないと感じると急にすべて情けなくなってしまう。誰にも見せない短歌をひとりきりつくっていたときの方がずっとまともだった。

 

生きて感じることの全てが面倒くさくなっても、病院にいると「生きなければいけない」と思わされ、息が苦しくなる。病院のそこが嫌い。負の感情に流されてとことんまで悲しむことが許されない。以前は「今のつらいことも全部ハッピーエンドの伏線」だとかよく書いていたが、今はそう信じられない。全部思い出づくりだと思ってどうにか生きられる。


先生から後遺症の検査結果と今後の治療についてお話があり、「あなたの未来は明るいですよ」と言ってもらった。他の病院では「治らない人は何をしても治らない」と言われていたので、ずっと暗澹たる気持ちで過ごしていた。落ち込む必要は何一つないらしい。

 

『戦争は女の顔をしていない』を読み返している。