戻れたり戻れなかったり

何の根拠もないけど、自分は23歳で死ぬだろうと思っていた。何事もなく生きた。次は27歳で死ぬだろうと思っていた。死にかけたけど、また生き延びてしまった。多くの人がそうだったように、生き延びてしまったことに絶望しながらまた人生が進むだけだとわかる。

執着していた人から毎年誕生日に連絡がきていたが、今年はじめてこなかった。帰り道、職場のエレベーターについている鏡を見たら生まれてはじめて白髪を見つけた。また人生が勝手に進む。

 

入院中はずっと社会から取り残されていると感じていて、元気になって東京に戻ればきっとまた社会にしがみついて生きていけるのだと思っていた。しかし、実際には東京でもずっと社会から取り残されているし、生まれてからずっとそうだった気もする。もとの生活に戻れたり戻れなかったりしながらまた孤独に自由に生きていけるのかもしれないと思っていたけど、もとの生活は遠のき、居場所はもっと減った。そして自分がなにか変わったわけでもないので、かつて会っていた人とまた会えるわけでもなく、人のことは嫌いなままで、ただ自由な時間だけが減った。ひとつでも間違えたら、もうどこにも戻ることができないと思う。毎日不安で恐ろしく発狂しそうで、この感情に終わりがないことに絶望する。


上京してはじめて行った美術館はオペラシティで、鈴木理策の写真展が見たくて電車を乗り間違えながら初台まで行ったのだった。お金がなくて図録を買えず、ポストカードを何枚か買って眺めていた。

退院して東京に戻ってからもしばらく自由に動けなくて、ようやく自由に休日を過ごすことができるようになってから、アーティゾン美術館で柴田敏雄鈴木理策の展示を観た。上京してはじめて美術館に行ったときのことを思い出した。図録は完売していて買えなかった。またポストカードを何枚か買って帰った。


祖母に末期がんが見つかり、もう余命が1ヶ月ほどだと聞いた。人が死ぬことに向き合うことができない。