寄り道

寄り道というものは自分の家に帰るときには当てはまらない気がする。地元にいた頃は高校やバイト先からの帰りによくお堀に行っていて、それを寄り道だと認識していた。亀が泳いでいるのを見ながら、嫌だったことをゆっくりと思い出して、間違えたことをひとつひとつなぞって、正解は何だったかを考えていた。お金がないのでお堀とその近くにある古びた図書館によく行っていたけど、他にもミスドサンマルクカフェ、ローソンのイートインスペースなど、あらゆる場所で息を潜めて過ごしていた。「帰りたくない」「今すぐ帰りたい」を往復して疲れ切っていて、それは今も変わらない。上京したら「寄り道」はなくなった。それは自分の家がちゃんと自分の家になったということで、わたしはつらくても働いて自分だけの安全な場所を死守しなければならない。


寄り道という言葉にはもうひとつ思い出がある。昔、「寄り道」というご飯屋さんに家族でよく行っていた。老夫婦が営業していて、おじさんがメニューや注文したごはんを持ってくるたびにボケてくるようなお店だった。座席に鉄板がついていて、お好み焼きが看板メニューだった気がする。なぜかカラオケ付きの個室があるので、お好み焼きを食べながら歌うことができた。文字にすると明るすぎる店なのに、店内はいつも薄暗く静かだった記憶があり、寂しくなるのでわたしはあまり行きたくなかった。そういえば、家族で行っていたお店はどこも薄暗かった。わたしは実家の騒がしさを滅びる前の明るさのようなものだと感じていたが、それは町全体に思っていたことだったのかもしれない。わたしが勝手に薄暗く感じていただけで、実際は明るくて騒がしいお店ばかりだったのではないかと今になって思う。

眺めのいい場所

そんなこと思ったことなかったんだけど、今日帰りながらふと「眺めのいい場所に行きたい」と思った。それから眺めのいい場所について考えてみたけど、実家の近くの海や海岸線を走る車の助手席から見ていた景色ばかり浮かぶ。以前人から「あなたは海欲が強いよね」と言われたことがある。わたしの海欲は海でなにかしたいとかではなく、本当に見るだけでよくて、常に海が見たいと思っているんだけど、いつでもひとりで出かけられるのに上京してから海を見にでかけたことはない。

 

小学2年生くらいまで、家から川が見えていた。その後自宅の前に家が建って見えなくなった。川に沿ってしばらく行くと海に着く。夏祭りはその海で開かれていて、小さい頃は家族や近所の人と見に行った。お正月はその海で焚き火や凧揚げをやっていて、地元の婦人会の人たちがぜんざいを配っていた。わたしは小さい頃甘いものが食べられず、ぜんざいを断ったら焼いたお餅をくれた。夏にはその海で地域の人の死を悼むならわしがあって、砂浜に大きな穴を掘ってその中で焚き火をした。母についていったことが何度かあるが、母がバタバタと喪服を用意していたことと、夕方の海の眩しい中で煙を浴びながら穴に向けて木を投げ入れたことしか覚えていない。

 

今日は何にもうまくいかなかった。しかし全部わたしが悪いので、自分の愚かさについて考えるしかない。何百回も読んでると思われるいちばん好きな漫画のなかにある「私なんか 私なんかいったい何なんだろう」を心の中でいつも繰り返している。何なんだろう。
自分のくだらなさに向き合っていかなければならない。いつかくだらなくない人間になるのだとしても、一生はそんな惨めなものなのだろうか。みんな自分のくだらなさに向き合い続けて虚しくならないんだろうか。それとも自分をくだらないとは感じないのだろうか。かつてはくだらないと思っていたけど乗り越えたのだろうか。わたしはまだそこにたどり着いていないだけなのだろうか。くだらなくても他人からの愛情や何かを成し遂げた結果が自分のくだらなさを相殺するだろうか。

 

優しくなりたい。

大人だけど

オリンピックが始まって、連休があって、いつも以上に社会から取り残されている気分になっていた。大人だから考えなきゃいけないことがあるとわかっているけど、しばらく何も見たくない。

 

部屋の電球は1ヶ月切れたままだし、扇風機はカバーが取れてしまって首も外れてしまい、危険な状態で動いている。アパートはめちゃくちゃで、でも引っ越しする余裕もなくて更新料を20万弱払った。お米も買いに行けてなくて、食パンを焼かずに食べたりしている。アパートの階段から落ちて足が痛い。生活はままならない。

 

先日、通っている美容室とは別の近所の美容室に行った。仕事以外で初対面の人と10分以上話すのがかなり久しぶりでうまく話せなかった。人との会話で失敗したことについて、その後何年も何年も考えて落ち込んでしまう。今年に入ってずっと自宅で仕事していたけど、最近出社することが増えて、人と同じ空間に長時間いて失敗しないように振る舞うことがこんなにも苦痛だったなんてと思った。慣れない会話も慣れない場所もいつもこわい。職場はどうしてそんなことができるんだろうと思うような人ばかりで、でも両親を納得させて社会にしがみついて生きていくにはここでやっていくしかないんだよなと考えて耐えている。

 

昨日は鳥飼茜の『サターンリターン』を読んでいた。生々しいので元気じゃないときに読むとつらくなってしまうけど、わたしは喪失について描かれた話が好きだな。どれだけ愛されるか何ができるかじゃなくて、自分の何もなさを許してくれる人が心の大部分を占めてしまうものだし、そういう人に執着してしまうものだよねと思った。鳥飼茜さんといえば(?)、以前何かのインタビューで結婚してもずっと孤独だというようなことを言っていたのを覚えていて、『おんなのいえ』にもひとりでさみしい人間はふたりでもさみしいみたいな話があったなあと思い出していた。ひとりでいるときの孤独より外で人といるときの孤独の方が応えるけど、誰かと一緒に暮らしているのに自宅でずっとそういう類の孤独を感じ続けるのならそれはかなりつらいことだろうな。

 

何にも考えずに日記を書くと感情が整理されて良いかなと思ったが、そんなことはなかった。

不健康な思い出

何度か書いたことがあるけど、中学3年生のとき、吹奏楽部のコンクール数週間前から全く楽器が吹けなくなって、修理に出しても基礎練をずっとやっても全然だめで、部員も少なかったし先生もたぶん気を遣っていたからメンバーを変えるとかもなくそのまま本番になり、わたしはライトの当たった大きなステージ上で家族や卒業した先輩や同級生たちがいる真っ暗な客席に向かって何にもできないままでいた。あのときの絶望感がずっと忘れられなくて、あれがわたしがわたしになった出来事のひとつだと感じている。本当はそんなに意味なんかないのかもしれないけど、努力も経験も全部一瞬で消えることがあるのだとか変なことを思って、拗ねて、そのまま大人になってしまった。

 

わたしは吉野朔実が大好きなのですが、『瞳子』で葉山くんが出てくるエピソードが特に好き。幼い頃に飼い犬に噛まれて怪我をしたらその数日後に犬がいなくなってしまって犬の行き先を誰にも聞けなかったという瞳子の話に対して、天王台が今すぐ新しい犬を飼えと言うのをすごいと思っている。自分の人生にとても大きな意味を持たせるようになってしまった出来事にはそうやってぶつかるしかないのかもしれない。あの出来事で自分が自分になってしまったと感じるのは不健康なのかもしれない。

(葉山くんも好きです。家に誘ったとき、ちゃんと瞳子にはお水入りのワイングラスも用意してあげてるようなところとか。本当は傷ついた子どもというのは葉山くんのことだろうなと思うし、そのあとの瞳子の気持ちも好き。『恋愛的瞬間』の、「あなたのようにはずやつもりでは人と付き合えない人間はむしろ至福を得る可能性が高い。欠乏感が強い方が必要なものを得やすいというのが理屈です」だなと思う。)

 

憧れていた場所にいる人を見たくないし、もう誰にも何にも執着せず、心を乱すことなく生きたいけど、そんなことできないんだよな。苦しいものですね。新しく何かを得るために努力できるほどの元気はなくて、早く自分のことを100%諦められるようになるための努力しかできない。わたしはお金がなくて大学を辞めたのですが、今年から通信制の大学に入ろうと思っている。

甘い水

くだものが好きなんだけど、なぜかと言うと、きれいで甘くて水がたっぷりで、ずっと心の中にわけもわからず存在する罪悪感が少し薄くなるからだと思う。大丈夫になる味がする。


去年はくだものをたくさん食べた。自分ではじめて桃やシャインマスカットを買った。えいやっと思えば高いくだものを買えるなんて、ちょっと前まで考えられなかった。こんな生活を送れているのは運がよかっただけなんだけど、必死に社会にしがみついている自分がゆるされた気分になる。


何にもなれなくて何も持っていなくて美しくなくて賢くなくて優しくないなら、何が何でも社会でそれっぽく生きなければならないのでしょう。みんなが立派に見えて情けなくなるけど、しがみつきながらどうにか生活していくしかない。


1年くらい前までは、明日まで生きていられるかもわからなくて定期を買えなかった。今もわたしの永遠は2週間先くらいまでしかないけど、定期は買えるようになった。世界は生きていける人に合わせてつくられているから、わたしもそこに合わせていくしかない。


年が明けましたね。東京で年を越すのは2回目で、ずっと家で漫画や本を読んだり配信ライブを観たりしていた。

1回目は3年前で、好きだった人と人生初のパチンコに行っていた。はじめてのパチンコはちょっと楽しかった気もするし、パチンコの前にデニーズで朝ごはんを食べながら勝ったらどうするって話していたのがアホみたいにうれしかっただけな気もする。思い出話ばかりするのをやめたい。


今年もどうやって生きていけばいいかわからないけど、なんとかやっていきたいと思います。よろしくお願いします。

冬の夜でも

自宅がとても寒いのでUNIQLOのフリースを買った。暖かい。
一人暮らしを始めてから、さみしいときとにかく寒さを我慢してはならないとわかった。ダメな日は電気代を気にせず暖房をつけた方がいい。夜中でも気にせずココアやホットミルクを飲んだほうがいい。すぐにお味噌汁を飲めるようにインスタントのお味噌汁を買っておくといい。しかし全然気にしないと電気代が平気で驚く金額になるので、お湯は鍋で沸かした方がいいし、フリースや着る毛布も導入した方がいい。いまは湯たんぽがほしい。
高校生3年生の頃、窓のない小さな白い部屋にいた。学校の中でも特に優しい先生たちが見張りをしていた。机がいくつかあるが、すべて壁に向かって置かれていて、ひとつひとつにパーテーションが付いていた。何人か来たり来なくなったりした人たちがいたが、誰も一言も話さなかった。
わたしは朝誰にも会わないように時間をずらしてその部屋に行き、誰にも会わないように時間をずらして帰って、1日の中で人と話すのは先生への挨拶と、たまに行われるカウンセリングの時間だけだった。
その頃ずっと体が冷えて冷えて仕方がなくて、ヒートテックを3枚着て腹巻をして指定のセーターの上にこっそりカーディガンも着て、それでも寒くてブランケットをかけて震えながら過ごしていた。一度だけその部屋に唯一の友人が来たことがあった。そこで5分ほど話したとき、体が急に温まって、着ているものを暑いと感じたことをずっと覚えている。誰とも話さず誰とも関わらずにいようとするとまず体が冷えていくと知った。
誰とも関わらずにいようとしていたのにずっと待っていてくれた友人に感謝している。彼女との思い出はたくさんたくさんあって、わたしの人生は彼女に出会ったことでゴールしたと思う。すぐにこういう重いことを言う。すみません。

西日がまぶしい

上京してからずっと、さみしいときに電話をかけると波の音が聞こえる番号があってほしいと思っていた。今日ツイッター広島市現代美術館の地球電話というものを知り、夜中に電話をかけてみたら広島の風の音が聞こえた。

わたしは海の目の前で育ったのでよく波の音を聞きたくなるのだけど、風の強い町でもあったので風の音も好きです。

地元は田舎にあって、海と山と畑以外何もなかった。みんな噂話が好きで、何でもすぐ広まった。わたしの家族もそうだった。ずっと地元と地元で暮らす人たちが嫌いだったけど、離れてみると海や風に懐かしさを感じたりしていて、そんなんじゃなかっただろとバカらしくなる。

以前、おじいちゃんについてブログを書いたことがあったけど、わたしのおじいちゃんは本当にどうしようもない人だった。ひどくわがままで頑固で、地元では何回も「あのじいさんのところの…」と眉をひそめられた。
本家の山の一部を分家の末っ子であるおじいちゃんは借りていて、でも孫たちには「じいちゃんの山」と言っていた。おじいちゃんの宝物は山と船だった。お正月はその山でお餅を焼いて食べたり、みかんをとる手伝いをしたりした。おじいちゃんに癌が見つかった年の春、おじいちゃんがわたしと妹を連れて山へ桜を見に行き、それが山に行った最後だった。おじいちゃんの山は本家に帰った。もう本当におじいちゃんの山じゃなくなった。

おばあちゃんはおじいちゃんにいつも怒られていて、おじいちゃんを憎んでいた。おじいちゃんが死んですぐおばあちゃんは認知症になった。1年前の台風の日、みんなが寝た時間に外に出て階段で転び、それからずっと病院にいる。昨年のお正月にお見舞いに行ったとき、わたしのことはわからないようだったけど、わたしが泣いていたらおばあちゃんも少し泣いていた。
おばあちゃんはあまり料理が好きじゃなかったらしいけど、さつま汁にはかなりこだわりがあって、誰も同じ味には作れない。わたしはさつま汁が大好きで、おばあちゃんはさつま汁を作ったときには少しだけ残して次の日に持ってきてくれた。もうおばあちゃんと昔のように会話はできないので、もっと前に作りかたを教えてもらえばよかったと思う。

実家のわたしの部屋は西日が当たっていつもまぶしかった。窓辺に机があったから、本はいつも日焼けしていた。家に犬が来てからは、西日に照らされながら窓の外を見る犬がきれいでカーテンを開けていた。

先日姉が結婚した。結婚のことはしばらく知らなくて、今も名字が何になったのかも知らない。離れると少しずつ他人になっていくけど、それくらいが正しい感じがする。お姉ちゃんの配偶者はとてもいい人だった。彼女たちの穏やかで幸せな生活が長く続くことを本当に心の底から願っていて、自分でも驚く。お母さんは次はわたしだと思っているけれど、次女は人と向き合って仲良くなることができないのです。

地元で暮らすことはもうないだろうし、家族に本当に思っていることを話すこともない。そんなことを知ったら家族は悲しむだろうけど、海や風の音を懐かしく感じたり、夜に昔のことを思い出したりすることも愛ですよと思う。