2019-09-30

夜行バスが好き。夜の高速道路が好き。朝着くように夜に出発する乗り物が好き。肩と腰と脚が痛くて、だるくて、なんとなくさみしくて、どきどきするけど安心できる場所が好き。これから先も悪いことしかないような、でもいいこともあるのかもしれないような、あらゆる感情のぴったり中間点で小さく揺れていて、よくわからない気持ちになって泣きたくなる時間が好き。イヤホンから流れるスピッツを一番小さい音で聴いて、光が漏れないようにカーテンを少しだけ開いて、窓の外の早く流れる光を見るのが好き。


夏休みで実家に帰っていた。家族はわたしが帰ってすごく喜んでいたし、わたしものんびり過ごしたけれど、過去の小さな苦しかった出来事やもうどうにもできないこと、お金のこと、家族の暮らしのこと、将来のことをたくさん考えてしまった。もう何年も前から家はめちゃくちゃで、みんなそれに気付いているのにどうすれば良いかわかってなくて、滅びる前の明るさのようなものがあり、わたしはそれが嫌でたまらなかった。今もめちゃくちゃだし何も解決していないしこれから先もどうすればいいかわからないけど、いちばん下の妹の就職先が決まって、わたしたち家族は耐え抜いたのだと思った。


唯一の友人にも会った。待ち合わせ場所に行くまでに通っていた高校を通らなければならなくて、日傘を差してうつむいてエレカシを聴いて息を止めて歩いたら大丈夫だった。それは本当に大丈夫というのかわからないけど、前は近づかないようにしていたので、ちょっとずつ大丈夫になっているのかもしれない。地元は思い出がありすぎてつらい。高校はずっと苦しかった。いつかそのときの呪いが解けて救われたら高校の前も何も意識せず歩けるのだろうけど、そんな日がくるとは思えない。救われることだけを考えてる奴が救われるわけないのかもしれない。


実家にもいたくないけど東京にもいたくない、どこかに行きたいけどどこにもいたくない、誰にも会いたくないけど誰かに直接優しくしたい、何かになりたいけど何にも希望を持ちたくない。明日からどうすればいいのかわからない。何もわからない。でも今まで一度でも何かわかったことがあっただろうか。TOEICを受けたり本を読んだりして過ごす、たまにホットケーキを焼く、小さく頑張ることを毎日こなす。とりあえず生き延びればそれでいいと思う。 


夏休みにあいちトリエンナーレにも行けた。旅行が苦手で、行く前は行きたくなくてたまらなくなっていたけど、やっぱり行くと楽しかった。観たかった展示は中止になっていたしユザーンの修行も終わってたしおなかも痛かったけど、楽しかった。楽しいとき、今日で世界が終わるなら心の底から楽しかったと言えるのにと思う。楽しいことのあともずっと続く自分の人生が嫌い。それ以外はほんとうに楽しかった。みんなこういう気持ちを全部ひっくるめて「楽しかった」と言っているのだろうか。  


ひねくれているのを直そうと思う。生きていくなら素直な方がいい。