年が明けた。
年末年始は地元に帰っていた。妹が結婚し、年末年始の休み中に新居へ引っ越しをするので、わたしも帰ってその手伝いをした。年末年始の間、姉も妹も配偶者や家族を連れて実家に集まっていて、母と私は料理をして片付けてを繰り返していた。帰省するたび、自分の知っている実家は薄くなっていく。犬がわたしを迎えてくれて、そばで眠ってくれるのだけは変わらない。
地元にいる間、数えきれないほど結婚の話題が出た。家族からだけじゃなく、昔通っていた習い事の先生や近所の人、両親の知り合い、妹の引っ越し先の地区長、いろんな人に当然のように「いい人はいないのか」と聞かれた。
ここでは、地元に残って結婚して子どもを産むことがもっともえらいことで、わたしはそこからはみ出た人間だった。わたしが両親に安心して暮らしてもらいたいと願っても、仕送りをしても、それはもっともえらいことにかなわない。「都会で頑張ってるんだね」以上の何にもならない。当然だ。ぐうの音も出ない。わたしが自分の醜さから目を逸らして人と関わることから逃げ続けた結果だ。
えらそうに両親に安心して暮らしてもらいたいと言っても、そんなお金も稼げず、自分ひとり生活するだけで精いっぱいだ。自分が選んだことを納得できるほど頑張っていない。そのくせ誰かに認められないと泣きたくなる。もう田舎には帰りたくない。帰るけど。
そんなことがあったので、年始に行きたいと思っていたロッキンソニックに行くかどうか迷っていた。姉が子どもを育てて、妹が新しい生活を始めて、母がみんなを支えて、その中でわたしだけが自分を優先して自分だけを満たしていて、そんなことが許されるのだろうか。
結局、うだうだ面倒なことを考えながら行った。自分に甘いのだから、こうやって言い訳していることもダサい。わたしはこれからもずっと自分を優先して生きることに言い訳ばかりするのだろう。
何も言い訳せずに言うと、どうしてもWeezerがみたかったのだ。ブルーアルバムを完全再現すると聞いて、それを楽しみにしていた。ブルーアルバムはわたしが生まれた年に出たもので、はじめて聴いたのはたしか中学生の頃だった。
今日みたWeezerもはじめて聴いたときと変わらなかった。一昨年ライブでみたときより、音響のせいか歌いづらそうだったけど、渇いていて力強い演奏とやさしくてさみしい歌があった。音楽とも本質とも外れたことを言うけど、続けることの輝かしさを感じて泣けてしまった。30年前に生まれた曲がいまこうして同じ輝度で聴けて、わたしも生き続けて自分で選んでここにいると思うと、たまらない気持ちになった。わたしの人生の選択は正しくなくても、今日はこれも間違ってなかったと言える。
会場の人もみんなWeezerを愛しているようで、居心地がよかった。「Only In Dreams」で静かにフェスが終わり、電車に乗り、わたしは自分の暮らしに戻った。
明日から会社だ。また嫌な日々が始まる。でも、始めたことをしばらくはどうにか続けようと思えたので、もう少し踏ん張る。