おじいちゃんについて

わたしは人が死ぬということがまだよくわからなくて、例えば、夜行バスに乗っているときに必ず湧き上がる「夜行バスに乗っているときの気持ち」としか言えない気持ちがわたしにはあるのだけど、それと同じように「人が死ぬときの気持ち」としか言えない気持ちをわたしはまったく知らなかった。



秋のはじめに、祖父が死にました。祖父は肺癌で、もう治療はせずに自宅で静養していたのだけど、最後の一週間はかなり苦しんでいて、死ぬ直前はもう苦しむこともできなくて、死ぬ瞬間や死んだ後よりも死にたいのに死ねないと苦しんでいた瞬間が一番死に近かったように思った。死ぬということは、本当に心臓が止まって息がなくなってからなのに、それには確実に境目があるのに、それとは別の場所にも生死の基準があるのだろうと思った。人が死んでゆく瞬間は不思議とこわくはなかった。本当は戸惑っていただけなのかもしれないし、おじいちゃんの死をおじいちゃんを含めて全員が受け入れていて長い時間をかけて終わりに近づくのを一緒に見ていたからなのかもしれないけれど、優しく穏やかな時間が流れているようにさえ感じた。


おじいちゃんはワガママで頑固で意地っ張りな人で、どうしようもない人だった。わたしはおじいちゃんがずっと苦手だった。田舎の嫌なところを詰めたような人だと思っていた。
おじいちゃんは最後の最後までワガママを言っていたけれど、最後の数日はもう水も飲めなくなってでも喉がカラカラに渇いていて、ずっと「氷が入った冷たい水をコップ一杯飲みたい」と言っていた。おじいちゃんは今までたいていのワガママは父や祖母に叶えてもらっていたように見えていたから、こんな小さなワガママを誰も叶えてやれないのが信じられなかった。

おじいちゃんがお医者さんに「もう今日明日まででしょう」と言われてから死ぬまでの一週間ちょっと、家族みんな代わりばんこに一日中おじいちゃんのお世話をして、もうお水を飲めないおじいちゃんに小さく小さく割った氷をひとつ食べさせたり、それでもひどく絡まる痰を機械で取ったり、訪問看護師さんにオムツを替えてもらうおじいちゃんを見たり、殺してくれと叫ぶおじいちゃんを宥めたり、睡眠薬を飲んでも夜中に苦しくて暴れてしまうおじいちゃんの手を握ったり、おじいちゃんの意識が朦朧として自分が今どこにいるのか周りにいる人が誰なのかわからなくなる瞬間が訪れたらみんな自己紹介をしたり、ふっと呼吸が止まったあとに溺れてるような息をしてまた戻ってきてしまったと嘆くおじいちゃんを励ましたり、落ち着いた時間に小さなテーブルをみんなで囲んでカレーや親子丼を食べたり、何度思い出しても寂しくて薄暗くて優しくて不思議な時間だった。家族が泣く姿も、家族の前で泣く自分も、すべてがおじいちゃんに向けられたもので、特別な磁場があった。


お世話になった看護師さんがおじいちゃんの最後の身支度をしてくれて、せっかくだからとわたしと妹に髭剃りや手足の洗浄を手伝わせてくれた。おじいちゃんが死んだことがなかなか現実に思えなくて、無駄にお喋りしたり動いたり笑ったりしてしまって、自分でもおかしいように思うのにコントロールできず戸惑っていたら、看護師さんが「今は興奮状態にあるだけで、無理に動いちゃったりするけど、そのことに落ち込む必要はないです。無理だけはしないように。葬儀が終わってから急に寂しくなったりするけれど、そのときは誰かに相談すること。そしておばあちゃんのことを気にかけてあげてくださいね。」と言ってくれた。わたしたちはずっとバタバタと動き回って大きな声で笑い合った。


お葬式の日の朝、おじいちゃんが棺に入るのを見て急に体がズンと重くなるような感じがした。それまでは夢の中にいるような、ふわふわと体が浮いていて周りがすべて霞がかかっているような、とにかく現実からいちばん遠い場所にいるようだった。それが棺に入るおじいちゃんを見た瞬間に自分の体のことを思い出して、おじいちゃんが死んじゃったことに対する喪失感や、わたしはわたしでなるべく長く生きていかなきゃいけないという変な責任感などに襲われて、苦しくてたまらなかった。わたしの知ってた死はおとぎ話で、本当はもっと現実的で、しっかり生きていかなきゃだめだと説かれているようだった。


わたしはおじいちゃんのことがずっと苦手で、こわくて、言われて嫌だったこともそれはそれはもうたくさんあって、上京してからもひとつひとつ思い出して憎く思ったりしていたのに、お葬式のあいだに何度も思い出してみようとしたけれど何にも思い出せなかった。小さいときに自転車をふたり乗りしたことや、一度だけ姉とわたしを遠くの公園に連れて行ってくれたことや、おばあちゃんが入院中にお小遣いをくれたときに封筒がわからなかったのか広告を切った紙にお金を挟んで四方をガチガチにホッチキスで止めていたことや、病気がわかった春に山へ桜を見せに行ってくれたことや、そんなことばかりを思い出していた。少し経った今もつらかったことはあまり思い出せなくて、そんなのは卑怯だし嫌なんだけど、やっぱり何にも思い出せないでいる。
おばあちゃんも、おじいちゃんが死ぬ前に「今まで迷惑をかけて悪かった」と言ってくれてつらかったこと全部どうでもよくなってしまったと言っていた。
人間は誰かを本当の本当に憎むことができないのだなと思う。わたしだって憎んでいたことを忘れたくなかったし、おじいちゃんの病気を知ってからずっとどのような態度をとるべきか考えていたけれど、優しくて普通の孫にしかなれなかった。


火葬場は山の奥にあり、とても静かで時間がゆっくりゆっくりと進んでいるような場所だった。イメージのなかの天国の門のようだった。中庭で亀や鯉がたくさん泳いでいた。棺にいるおじいちゃんを見て現実に戻ってきたのに、また夢みたいな世界に連れていかれそうだった。1時間で人が焼けるのはバカみたいだった。


第58回角川短歌賞を受賞した藪内亮輔さんの「花と雨」という連作がたいへん好きなんですけど、この連作を何度も何度も読んだ秋だった。
何首か書きます。

息は生き、さう思ふまで苦しげに其処にゐるだけなのにくるしげに
肉体のなかを肉体がくぐり抜けてくるやうな息だぎりぎりのこゑ
雨はふる、降りながら降る   生きながら生きるやりかたを教へてください
営みのあひまあひまに咲くことの美しかりき夕ぐれは花



おじいちゃんのお葬式でもらったメロンを一玉持って東京に戻った。熟れるのを待っていたらいつの間にか熟れすぎていて、慌てて切って食べたけどグズグズで甘ったるかった。わたしはあんまりメロンが好きじゃない。でも全部ひとりの部屋でなんとか食べた。

おじいちゃんの話は終わりです。

2016年8月31日

おじいちゃんは末期の肺がんで、もうあとどのくらい生きていられるかわからない状態が長く続いている。
今日は姉の仕事が休みだったので、姉と妹とわたしの3人で行ったのだけど、それがおじいちゃんは嬉しかったようで、手品を披露してたくさんお喋りしていた。
この手品は、おじいちゃんの特技で、特技といっても3つしか持ち技はないけれど、昔から楽しくなると何度も何度も3つの手品を繰り返し披露してくれていた。今日も1時間弱ずっと3つの手品を披露し続けて、たまに起き上がって、やっぱり苦しくて横になって、話すと喉が渇くと言って苦しそうにお茶を飲んで、また手品をして、同じ話を何度も何度もして、呼吸が荒くなって、酸素を吸入して、また手品をして、わたしはたまらなく寂しくなって、とても泣きたくなって、ずっと大げさに笑っていた。そうしたらおじいちゃんはもっと楽しそうになって、声も大きくなって、わたしはますます泣きたくなって、でもおじいちゃんは今日みたいにお喋りできることが奇跡的なくらいだから、最後には倒れるみたいに寝て、おばあちゃんはそれを見て明日も手品見に来てねと言っていた。

わたしのなかで、田舎のイメージはおじいちゃんそのもので、その田舎は、わたしには暮らすに耐えられなくて理由をつけて逃げるほかなかった田舎で、それは今も変わらないけれど、10年後20年後に思い出すのは、今日の手品をし尽くして声が出なくなって嫌味も噂も言わず弱く笑うだけのおじいちゃんだと思った。そんな一日だった。明日はおじいちゃんの90歳のお誕生日です。

渡辺美優紀ちゃんに恋をしていた

大好きなアイドルが卒業した。


わたしの大好きなアイドル、もう「アイドルだった人」だけど、渡辺美優紀ちゃんは、わたしたちに彼女自身のことを何にも教えてくれないまま、わたしたちからは見えないところへ行ってしまった。

最後の最後に泣く彼女を見ていると、坂口安吾の「文学のふるさと」の中の「何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ」という文を思い出しました。

アイドルというものは不思議な存在で、「アイドルとは何か」についてこれまで多くの人が考えてきたと思うのだけど、わたしは「人を好きになるときの明るい気持ちのすべて」という意味だと思っていて、その点においてみるきーは完全無欠のアイドルだった。
人が人を好きになるとき、その感情のひとつひとつは絶対に同じものではないので、恋であるとか友情であるとか、個々の感情をラベリングすることは無意味で無粋なことだと思っているけど、わたしたちがみるきーを見るときの気持ちだけはすべて恋に帰着していたように感じる。
そしてその恋は、悲しくどろどろしたものでも性欲からくるものでもなく、人類が勝ち取った文化的なものだったと思う。

みるきーは彼女の笑顔を生きるためのものだと言ったけれど、生きるためだとしても、その生きるための笑顔をアイドルとしてわたしたちに見せ続けてくれた。美優紀ちゃんは愛の人なんです。みるきー渡辺美優紀ちゃん自身について何にも教えてくれなかったけれど、わたしたちに生きていることそのものを見せてくれた。命を見せてくれたんですよ。これ以上、何を望むことがあるでしょう。
わたしは渡辺美優紀ちゃんの命がかわいいことを知っている、美優紀ちゃんがこれまでの人生でどんな選択をしても、その結果アイドルにはならずにわたしたちの前に姿を見せることがなかったとしても、それでも世界で一番かわいいことを知っている、美優紀ちゃんの人生や歴史や選択や運命、それら丸ごと全部ひっくるめて最後の最後まで絶対にかわいいことを知っている、本当にそれだけです。渡辺美優紀ちゃんが好きなんです。

5年半きらきらしたアイドルをやってきて、最後に「別にアイドルになることは夢じゃなかった、でもこの道も間違っていたとは思わない」とはっきり言えることは、自分の人生を運命のせいにせず他の選べたかもしれない人生と対等に扱うことで、これはきっと強さだし愛だし、わたしははじめて渡辺美優紀ちゃんの姿を見たような気がするのだけど、そのあとに「わたしのことは忘れてください」なんて言って笑う美優紀ちゃんはやっぱり全然わからなくて、けれど、わたしはこれできちんと美優紀ちゃんに失恋できた気がする。
「みんなと過ごした時間は一生忘れません」って言ってくれるのは優しくて夢のままで綺麗だけど、自分はアイドルになるために生まれてきた女の子じゃないのだと教えてくれて、「わたしのことははじめからいなかったものとして忘れてください」と言うのは、わたしにとっては一番優しいことだった。みるきーは最後の最後に渡辺美優紀に関する呪いを解いてくれたから。
美優紀ちゃんは本当は砂糖菓子でできたアイドルではなくて、かわいくて優しい、普通の女の子だった。そのことを、誰よりもアイドルであろうとした美優紀ちゃんが教えてくれた。

大好きなアイドルに恋をして、もう会えなくなるときにそのアイドルが振ってくれて、そんなことって、すごいね、美優紀ちゃんはやっぱりすごい。わたしたちの思っていた何百倍何千倍も強くて賢くて優しくて愛の人だった。

美優紀ちゃんが忘れてくださいって言うから、わたしは美優紀ちゃんのことを忘れます。美しいアイドルのことを好きで好きで大好きだったことだけを覚えて死にます。

これから、美優紀ちゃんはどんな風に生きていくのかわたしにはわからないけれど、どうか寂しい思いをせず、やりたいことを全部やって、行きたいところに全部行って、幸せになってほしい。
灯台守が灯台のひかりに照らされないことのないように、美優紀ちゃんが与えてくれた愛の何倍もの愛が美優紀ちゃんに与えられるように、それを美優紀ちゃんが受け取って笑えるように、たまに泣いて怒って自由に生きられるように、最後には必ずハッピーエンドが約束されているように、どうかよろしくお願いします。

奥沢にも降る雨

反対側のドアが開きますって電光掲示板が光ったから、なんとなく振り返って、窓の外の奥沢にも降る雨のことをぼんやりと見て、あとはもうずっとずっと電車は景色と平行に動いて、気がつけば日吉に着いていた。電車が昔から好きだ(地元は汽車だけど)。乗ってしまえばどこかへ着いてしまって時間が曖昧になる気がする。
東京に来て一ヶ月が経った。自分の家がなかなか自分の家にならなくて困る。台所、机、布団、クローゼット、本棚、玄関、お風呂場の順に慣れていって、まだトイレと洗面所ではそわそわする。引っ越してから一週間くらいは朝も夜も泣いていて、生きていけないと思ったけれど、知り合いの家に初めて行ったのに誰もいなくて知らない土地の知らない人ばかりの街で知らない家にひとりきりという気分になっていただけで、この駅では売店側の改札を使うとか、あそこのスーパーは火曜日が安いとか、朝眩しいから枕をこっち側にしようとか、自分の中で整うところができてくると半分は平気になった。
東京は愛媛よりも夜になるのがずっと早くて、電車から見た奥沢にも降る雨のことも全部忘れてしまって、うずくまって時間が過ぎるのをただ待ちながら、銀河に咲く水仙のこととか宇宙空間を自由に泳ぐ魚のことを考えて、目が覚めたら遠い国の小さな丘になっていることを願って、無理やり眠って、東京は朝になるのもずっと早いから、あとはもうどんなに悲しくても窓の外が明るいことに救われるしかなくて、顔を洗って着替えてお茶を飲んで外に出て、やっと奥沢にも降る雨のことを思い出して、売店側の改札を通って、また日吉までの間揺られるだけの体になる。

いつも帰る

新宿駅に降りた。人が一方向へ束で流れていって私はそこを渡れずにいた。人がたくさんいると頭の中に教室を作ってそこへ人を振り分けていく。新宿駅では教室に入った生徒はすぐに出ていくばかりで、そうか駅はのりしろのようなものだから長いこと居てはいけないと思って新宿御苑へ行った。新宿御苑はわたしのほかに人がいなくて、無数の大木に囲まれていると頭の中心だけがやけに冷静になってしまって、なんだか落涙しそうだった。夏の日の朝の天王寺動物園でもこの気持ちをみたことがあった。あの日は大雨で雷も鳴っていて、私のほかには気を抜いた大きな動物と大きな動物に合わせた大きなものたちだけで、私は急にこの世のいっさいがっさいが恐ろしくなってもうずっと会っていない人のことを思い出したりしていた。あの日と同じだった。お昼の新宿御苑には人がぽつぽつといたけれど奥まで行けばやっぱりこの世の果てで、そういえばひとりきりのときにそばにあるものはそのサイズに合ったもののような気がする。ひとりきりのサイズよりも少し大きいと寂しさになるし、ひとりきりではどうしようもない大きさのところにいるとき(あまりに大きいとその中に取り込まれてしまうものだ)、それはやっぱりこの世の果てになる。無数の木も、ライオンも象もオオカミも、わたしひとりきりではどうしようもなく大きくて、それだけなのに私は長いこと絶望していたのだった。

帰りの夜行バスで私は一番落ち着いていて、少し楽しくもなっていて、そのことにひどく落ち込んでいた。本当は遠くへ行くのが苦手だ。嫌な日常に戻るのだとしても、帰りになればやっと何かを考えられるようになって安心してしまう。二階席はよく揺れて、暗い車内に誰かの携帯電話の光だけが明るい。隣の人のいびきは聞こえず小声のアナウンスは聞こえるくらいの音量にしてスピッツを聴いていた。ボロボロになる前に死にたい。飛行機もバスもただあるだけじゃだめで、行き来させる人がいないとそれらは飛行機やバスになれないと気がついてまた落涙しそうになった。このままバスがニュージーランドや箱根や竹富島に着いてくれたら、愛媛も東京も嫌いだ、バスはロマンチックじゃないけれど、銀河を走って宇宙の果てを見せてほしい。結局朝になれば愛媛に着いていた。