渡辺美優紀ちゃんに恋をしていた

大好きなアイドルが卒業した。


わたしの大好きなアイドル、もう「アイドルだった人」だけど、渡辺美優紀ちゃんは、わたしたちに彼女自身のことを何にも教えてくれないまま、わたしたちからは見えないところへ行ってしまった。

最後の最後に泣く彼女を見ていると、坂口安吾の「文学のふるさと」の中の「何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ」という文を思い出しました。

アイドルというものは不思議な存在で、「アイドルとは何か」についてこれまで多くの人が考えてきたと思うのだけど、わたしは「人を好きになるときの明るい気持ちのすべて」という意味だと思っていて、その点においてみるきーは完全無欠のアイドルだった。
人が人を好きになるとき、その感情のひとつひとつは絶対に同じものではないので、恋であるとか友情であるとか、個々の感情をラベリングすることは無意味で無粋なことだと思っているけど、わたしたちがみるきーを見るときの気持ちだけはすべて恋に帰着していたように感じる。
そしてその恋は、悲しくどろどろしたものでも性欲からくるものでもなく、人類が勝ち取った文化的なものだったと思う。

みるきーは彼女の笑顔を生きるためのものだと言ったけれど、生きるためだとしても、その生きるための笑顔をアイドルとしてわたしたちに見せ続けてくれた。美優紀ちゃんは愛の人なんです。みるきー渡辺美優紀ちゃん自身について何にも教えてくれなかったけれど、わたしたちに生きていることそのものを見せてくれた。命を見せてくれたんですよ。これ以上、何を望むことがあるでしょう。
わたしは渡辺美優紀ちゃんの命がかわいいことを知っている、美優紀ちゃんがこれまでの人生でどんな選択をしても、その結果アイドルにはならずにわたしたちの前に姿を見せることがなかったとしても、それでも世界で一番かわいいことを知っている、美優紀ちゃんの人生や歴史や選択や運命、それら丸ごと全部ひっくるめて最後の最後まで絶対にかわいいことを知っている、本当にそれだけです。渡辺美優紀ちゃんが好きなんです。

5年半きらきらしたアイドルをやってきて、最後に「別にアイドルになることは夢じゃなかった、でもこの道も間違っていたとは思わない」とはっきり言えることは、自分の人生を運命のせいにせず他の選べたかもしれない人生と対等に扱うことで、これはきっと強さだし愛だし、わたしははじめて渡辺美優紀ちゃんの姿を見たような気がするのだけど、そのあとに「わたしのことは忘れてください」なんて言って笑う美優紀ちゃんはやっぱり全然わからなくて、けれど、わたしはこれできちんと美優紀ちゃんに失恋できた気がする。
「みんなと過ごした時間は一生忘れません」って言ってくれるのは優しくて夢のままで綺麗だけど、自分はアイドルになるために生まれてきた女の子じゃないのだと教えてくれて、「わたしのことははじめからいなかったものとして忘れてください」と言うのは、わたしにとっては一番優しいことだった。みるきーは最後の最後に渡辺美優紀に関する呪いを解いてくれたから。
美優紀ちゃんは本当は砂糖菓子でできたアイドルではなくて、かわいくて優しい、普通の女の子だった。そのことを、誰よりもアイドルであろうとした美優紀ちゃんが教えてくれた。

大好きなアイドルに恋をして、もう会えなくなるときにそのアイドルが振ってくれて、そんなことって、すごいね、美優紀ちゃんはやっぱりすごい。わたしたちの思っていた何百倍何千倍も強くて賢くて優しくて愛の人だった。

美優紀ちゃんが忘れてくださいって言うから、わたしは美優紀ちゃんのことを忘れます。美しいアイドルのことを好きで好きで大好きだったことだけを覚えて死にます。

これから、美優紀ちゃんはどんな風に生きていくのかわたしにはわからないけれど、どうか寂しい思いをせず、やりたいことを全部やって、行きたいところに全部行って、幸せになってほしい。
灯台守が灯台のひかりに照らされないことのないように、美優紀ちゃんが与えてくれた愛の何倍もの愛が美優紀ちゃんに与えられるように、それを美優紀ちゃんが受け取って笑えるように、たまに泣いて怒って自由に生きられるように、最後には必ずハッピーエンドが約束されているように、どうかよろしくお願いします。