愛のタンク

今年の夏、職場の人と流れで占いに行った。高校生の頃、明るくてかわいくて素直で羨ましくてたまらなかった女の子が同じ誕生日だと知ったときから、占いを信じる気持ちはほぼなかったけれど、自分でもどうしようもない性格の部分についてやさしく的確に指摘され、あぁ、これは統計と話術とひととなりが成すものだと感動したのだった。


その後、また職場の人と同じところへ行くことになり、前よりも長い時間話すことになった。

わたしは「愛の入るタンク」が大きいため、誰かに100%愛されてもタンクが埋まることはなく、誰かを100%で愛しても相手は受け止めきれないのだと言われた。自分では人を愛する能力が低いのではないかと思い悩んでいたりするのだが、愛のタンクが人より大きいだけだと断言されたら孤独も救われる気になった。

それと、人間関係において95%親しくなれたとき、5%の届かなかったところを見る人だから、まず100%を目指すのをやめようと言われた。それはなかなかむずかしい。


姉に子どもが生まれ、自分の人生は何なのかと考える時間が増えた。仕事を頑張れば救われる気になるが、薄給で誇れるような大した仕事もしてない。人と親しくなることができない。冷静になればすべてが空しい。

でもわたしの人生は良くなると言われたから、少しだけ、良くなるのだろうと漠然と信じることができる気がする。

海底と衛星

体調が悪くて頭が回らないが、『違国日記』最終巻を読んだ。何度読んでも、生きる人間のまなざしと救いのある物語だった。


たまに海底で生きている想像をして、ひとりでいることに納得しようとするのだけど、笠町くんの言う「衛星」は理想的だなと思った。衝突しないくらい、軌道を逸れないくらい、の距離で人を大切に思う。ひとりで死ぬとしても、ひとりぼっちではない。これからもひとりだと思い悩まなくても良い。


最終巻はずっと泣いていて、好きなシーンを挙げたらキリがないのだけど、読み終えた後に醍醐が言っていたことを繰り返し考えていた。

この話とはまた違うけど、昔好きな人に「何の努力もせず好きになってもらおうと思うな」と言われたとき、自分にその考えが全くなくて何を言っているのかわからなかったことを思い出した。わたしはずっと、草花が揺れているのを眺めていたら自然と大事なこと全部分かり合えるような、そんな奇跡のようにぴったりとはまる関係を特別に愛するべきだと思っていた。わたしは誰かを大切にするために心を砕いたことも、しんどい努力をしたこともないのだと思う。もしも人と分かり合いたいのならば、それじゃだめなんだろうなぁと痛感したのだった。

 

何を言いたいかわからなくなってきたので寝ます。

 

直視できない

今日も眠れない。久しぶりに短歌をつくろうと思っていたけど何も浮かばなかった。何かをよく見ることができなくなったのかもしれない。


人との関係が終わっていくとき、酸素の薄い場所で死を待っている感じがして嫌だ。何をどうしてもきっと裏目に出るのだとわかっていて、その上でやったことはすべて失敗で、やらずにいたことはすべて可能性だけを残して行き場を失ってしまう。


耐えられず逃げ出せば、選べたかもしれないもしもの世界を無限に考えるしかない。誰かとずっと親しくしたいなら、すべての選択肢を間違えずにいなければならないのだろうか。

人との関係は自然と終わっていくことが多いのだと頭では理解しているし、生きていれば「もう会わなくなった人」が増えていくと知っているが、それでもなお人と出会って人と離れてを繰り返すことに何の意味があるのだろうか。


かつて人をさみしい人生の止まり木にした罰が当たっているのだと思う。

海岸から沖へと

年が明けた。朝起きたら生き延びたことが苦しく、夜になれば明日がくることが不安で、一生を考えれば虚しくてたまらない。
年末は布団から起き上がれず、大晦日はおでんを作った。ひとりで過ごす年末年始はいろいろなことを考えてしまう。今年は世の中も自分も悲しいことがたくさんあった。

去年の前半は入院ばかりだった。病院の中では私はいつも守られていて、そのかわり何もできなかった。退院して東京に戻ると自分のことは自分でどうにかしなければならず、何でもできるはずなのに何もできなかった。好きな漫画と歌集を何度も読み返し、好きな曲を繰り返し聴いた。新たに何かをする気力がないことにひどく焦る。

親切にしてくれる人に自分の選択を任すことができないのは、わたしの人間性に問題があるのだろうと悩んだ1年だった。自分に何か特別なものがないのなら、恋や性愛のために身を投げ出さなければ人に大事にされることはないのではないかと思い悩んでいたこともあったが、「何もしなくていいから家族のように親切にさせてほしい」という求められ方に応えられず、自分の心の狭さを知る。わたしは自分の何かを差し出さなければ築けない関係が不安だったわけではなく、人と親しくすることに耐えられないだけだった。
人を大事にすることも人に大事にされることもできっこないだなんて、これからどう生きていけば良いのだろう。どうしてこんなにも人との関係を上手く築けないのだろう。わたしは人に何を求め、何を求められたいのだろう。何もわからなくなった。

仕事の苦しみを人生の苦しみにしてはいけないとわかっているが、何かを指摘されるたびに一歩ずつ海岸から沖へと向かっている気持ちになる。あと何歩目で足が底へつかなくなり、あと何歩目で溺れてしまうのだろうかとふと考える。場数を踏んでスキルを磨くしかない、頑張るしかないと思うが、一生こうなのだとしたらなんという地獄だろう。

今年もただ地獄のような日々が続くだけだなと暗澹たる気持ちになる。頑張ろうって小さく唱えるが、もう心が折れそう。頑張ろう。

失踪しない暮らし

日々はずっとつらく、もう生きていたくないと毎日思っているが、電車で泣いたり会社のトイレで静かに怒ったりしながら生きている。階段から落ちかけたり、車に轢かれそうになったり、脳から血が出て本当に死にかけたりしながら、「また生き延びてしまった」経験ばかりを積む。ふと死ぬことを考えても、ふと死んでみることはできない。いつ何が起こるかなんてわからないけど、「きっとどうしたって生き延びてしまう」と思ってしまうことが耐え難い絶望なのだった。逃げ道はないのだと何度も思い知らされる。


全く親しくなりたくない人と親しくしなければならない日々が続き、ひどく疲れてしまった。仲良くしたい人とだけ仲良くできるわけではない。会いたい人にだけ会えるわけではない。それを純粋に叶えようとするならば、人でなしだと糾弾されてもいいと覚悟しなければならない。

失踪することばかりを考えて考えて、失踪せずに暮らしている。前に観に行ったロロの舞台に逃げる準備をし続けているキャラクターがいて、そのことをたまに考える。たしかな救いがほしい。


大人になると楽になれると聞いていたが、白髪が生え始める歳になっても何も楽にはならず、どうにもならないことと諦めなければならないことが増えていく。膨れ続ける劣等感に苛まれながらあと70年とか生きるのかもしれない。

戻れたり戻れなかったり

何の根拠もないけど、自分は23歳で死ぬだろうと思っていた。何事もなく生きた。次は27歳で死ぬだろうと思っていた。死にかけたけど、また生き延びてしまった。多くの人がそうだったように、生き延びてしまったことに絶望しながらまた人生が進むだけだとわかる。

執着していた人から毎年誕生日に連絡がきていたが、今年はじめてこなかった。帰り道、職場のエレベーターについている鏡を見たら生まれてはじめて白髪を見つけた。また人生が勝手に進む。

 

入院中はずっと社会から取り残されていると感じていて、元気になって東京に戻ればきっとまた社会にしがみついて生きていけるのだと思っていた。しかし、実際には東京でもずっと社会から取り残されているし、生まれてからずっとそうだった気もする。もとの生活に戻れたり戻れなかったりしながらまた孤独に自由に生きていけるのかもしれないと思っていたけど、もとの生活は遠のき、居場所はもっと減った。そして自分がなにか変わったわけでもないので、かつて会っていた人とまた会えるわけでもなく、人のことは嫌いなままで、ただ自由な時間だけが減った。ひとつでも間違えたら、もうどこにも戻ることができないと思う。毎日不安で恐ろしく発狂しそうで、この感情に終わりがないことに絶望する。


上京してはじめて行った美術館はオペラシティで、鈴木理策の写真展が見たくて電車を乗り間違えながら初台まで行ったのだった。お金がなくて図録を買えず、ポストカードを何枚か買って眺めていた。

退院して東京に戻ってからもしばらく自由に動けなくて、ようやく自由に休日を過ごすことができるようになってから、アーティゾン美術館で柴田敏雄鈴木理策の展示を観た。上京してはじめて美術館に行ったときのことを思い出した。図録は完売していて買えなかった。またポストカードを何枚か買って帰った。


祖母に末期がんが見つかり、もう余命が1ヶ月ほどだと聞いた。人が死ぬことに向き合うことができない。

あらゆる選択を

出社して仕事をするようになり、帰りの電車で泣くことが増えた。入院中ずっと社会から取り残されていると思っていたけど、仕事に復帰しても社会から取り残されていると思うのは変わらない。頑張っても頑張ってもどこにも居場所がないことに耐えられない。

 

一度死にかけたのに生き延びたことで、どうしてもだめだったら人生を諦めようという逃げ道がなくなってしまった。なにか失敗してもうだめになったとしても生き延びてしまうのかもしれない。これから先絶対に何の選択も間違えてはいけないのだといつも怯えている。今まであらゆる選択を間違えてきたというのに。

 

先日知らない番号から留守電が入っていて、再生したらもう会うことのない人がわたしの名前を呼ぶ声が流れてきた。頭の中で声を再生できなくなったとしても、聞けば覚えているものだった。何をしてもこの人には嫌われないと信じ切っている人の振る舞いはたまらなくかわいいと思う。たまに声を聞きたくて留守電を保存したが、夜にもう一度再生しようとしたら消えてしまっていた。

 

ずっと助けてほしいと思っていて、でも助けてくれようとする人の手を取ることはできないだろうとわかっている。誰も助けてくれないのではなく、自分の問題なのだとわかっている。人に助けてほしいだなんて言えないし、助けてあげると言ってくれるやさしい人のことを大切にすることも信じきることもできないし、人に助けられるような人間でもない。こんな子どもみたいなことばかり考えて落ち込んで泣きながら布団に入る生活。